心をスッキリ、シンプルに 〜毎日を神様のために〜

ページを開いて下さりありがとうございます。

RAPTさんが有料記事を始められてから5年が過ぎました。

クリスチャンのRAPTさんが、聖書のこと、神さまのこと、お祈りなどについて教えて下さり、2016年10月からは御啓示を受けられるようになったので、御言葉を伝えて下さるようになりました。

伝えて下さる御言葉についていくだけで精一杯なことも多く、厳しくて、自信がなくなって、何度も倒れたことがありました。

それでも、記事を読むのをやめよう、聞くのをやめよう、などと思うことは一度もなく、毎日欠かさずに聞いて、その時その時、乗り越えてきました。

しばらくの間は、「これは真理であるから、ここから離れるわけにはいかない」と、自分を奮い立たせて、気合いを入れる形で立ち上がっていました。

そのうちに、「この道を外れるわけにはいかない」という何か強制されるような思いでなく、「神様のためにやって差し上げなければならない」「ただ神様のために」と思うようになりました。

本当に私はノロノロと進んでいました。


慌ただしい複雑な世の中で、まずは「自分のため」、せいぜい「家族のため」に生きることで一杯一杯です。かつては、「会社のため」「仕事のため」に捧げる人もいましたが、そんな時代は過ぎ去りました。

ましてや、「神様のため」とは、意味がわからないとお思いになるでしょう。

世間一般のクリスチャンの方は、どれほど神様のことを考えていらっしゃるでしょうか。

私も最初はそんなこと微塵も思っていませんでした。

「やっぱり神様がいらっしゃる」とわかった後も、神様のお役に立ちたいな、というレベルでした。

そんな私の信仰心を、神様は導いて下さり、RAPTさんは御言葉を通して、救い、育てて下さいました。

RAPTさんが御啓示を伝えて下さるようになって4年、朝のお祈り会が始まって3年。

この間、聖書に書かれている神様がいらっしゃる、ということを悟り(わかること)、御言葉に従っていくうちに、神様は私のようなものにさえ、近くに来て下さるのではと思うようになりました。

いつの間にか、お祈りしてきたことが叶うことを経験してきたからです。

目に見える形で見せて下さる時も、見えない形も、自分の力だけではできないことなので、神様が働いてくださったのだろうなと感じるからです。



人には様々な願いがあります。

私の願いの一つは、目に見えない心を、綺麗にしたい。

そうしないと神様には近づけないからです。

そのために、「罪」は無くしていかなければならない。

「罪」と言うと、何だか重く感じますね。

皆さんと同様に、私も、RAPTさんの御言葉を聞くまで、「罪」について関心がありませんでした。

「罪」と言うと法律を犯すようなイメージで、自分と関わりがないような気でいました。

いえいえ、「罪」は悪い考えや行いとして、いつも抱えているものでした。

そんな、自分の心の内の負なる感情など、全然平気で、取り除こうとさえ思いませんでした。

むしろ、感情があるから人間なのだ、と、どこかで読んだことに共感して偉そうに思っていました。

でも、RAPTさんの御言葉を聞き、聖書を読み、どんなものが「罪」なのか繰り返し教えて頂き、絶対に取り除いていかなければいけないとわかりました。

それでも、自分の罪を認めないところがあり、気づかないところもあり、気づこうとしないところもあり、これは、一生かけて、無くしていかねばならぬと言う信仰生活の基本中の基本です。

ですから、神様を信じる前の、それこそ記憶がある最初の頃から振り返って、思いつく限りの罪を神様に謝って、悔い改めのお祈りをしてきました。

そうは言っても、全て覚えている訳でもなく、同時に、新たな罪も進行するので、ともかく、抱えている罪に気づかせてくださいともお祈りをします。

例えば、「だらだらとTVを見てしまった」などは、長く御言葉を聞いている兄弟姉妹はあり得ないことだと思いますが、「ずるずるネットを見て時間を無駄にしてしまった」などの行動はわかりやすい罪です。

「陰口を叩く、良い人ぶる、嘘をつく、見栄をはる」などの行動も、「罪」だとわかりやすく、悔い改めをしやすいものですが、自分の心の奥底にある感情の罪は、なかなか取り除けないものです。

私も、自分の言動が悪かったと頭でわかっていても、どこかでモヤモヤしてずっと引きずっていることがありました。

でも、いつの間にか、そんなモヤモヤがなくなっていて、ある時、ふと、気持ちがスッキリしていることに気づきました。


また、御言葉を聞き始めても、人のことを羨ましいな、いいな、と思う気持ちもよくありました。

悪いとわかっていても、心の奥から、モクモク出てくる感情です。

しばらくは苦戦しましたが、今は、羨ましいな、いいな、などは思いません。

楽しそうにしているな、くらいでしょうか。

自分の中に、誰かを羨んだり、嫉妬したり、何だか悪い感情を抱えているのは、とても気持ちが悪いものです。

自分でなかなか取り除けない、そんな嫌な感情を、祈り求め続ければ洗い流して下さることを経験したので、また神様にお願いしよう、とお祈りするのです。


私もかつてスピリチュアルブームに乗って、日本の神社仏閣を参拝し、その存在を拝んでいました。

心を清めたいな、と思って関心を持って始めたことでしたが、心をスッキリさせることはできませんでした。

先祖を敬えとか、正しい参拝の仕方とか、部屋を綺麗にしろとか、人間の気が汚いとか、当時はそれらしく思えた訳ですが、自分自身は何も変わりませんでした。

自分自身にも、人生にも何か変化が訪れる訳でもなく、やがてそのマイブームは沈んでいくことに。

あの時、心を清める瞑想のようなものも紹介されていましたが、瞑想は何故か気が乗らなかったので、その後、深入りしなくて良かったとヒヤッとしたものです。

あんなに「罪」について知らず、沢山抱えている状態で、瞑想などしていたら、それこそ、神様と正反対の悪魔と繋がっていただろうからです。

そのように、神様は、なんとか人類を救って下さろうと、いつも聖霊を注いでくださっているのですから、私達も、その神様の波長に近づいて導いて頂くためにも、まず「罪」をどんどん捨て去らなくてはなりません。


大の大人が率先して嘘をつき、どこもかしこも嘘だらけ、嘘に縛られてグダグダになっている世の中で、本当のことを知ることができて、さらには神様のことを知った幸せ。

何にも変え難い喜びの一つでした。

今までの人生で、子供が生まれたことが、私にとって最も大きな変化であり、学んだことが多い出来事でした。

待ち望んで待ち望んで、1番嬉しい出来事でした。


それが一瞬で吹っ飛んだ、比較にならない喜びです。

その神様が、祈り続ければ、願いすら聞いて下さるのです。

こうやって、私の願いを聞いて下さるからこそ、私も神様の願いを叶えて差し上げるように生活しないと、と思っています。

私はまだ全然恩返しができていないので、ともかく、神様が喜ばれるように生きる、神様のために、第一はただそれだけです。


「罪をなくしたい」と言うお願いは、いきなりハードルが高いかもしれませんね。

まずは、自分の心を、スッキリ、シンプル、そして清く、したくありませんか。


もちろん、神様は目に見える形での願いも叶えてくださいます。

またの機会にお話ししたいと思います。

「神様のために」最も生きてらっしゃるのがRAPTさんです。

私達を神様に繋いで下さり、成長できるように、日々死に物狂いで御言葉を伝えて下さるRAPTさんは、人類の宝物です。

どうぞ、どうぞ、有料記事 & 力強い御言葉をお聞き下さればと思います。

お読み下さりありがとうございました。

RAPT有料記事453(2020年3月23日)罪を犯した方が幸せになるというサタンの洗脳から出てきなさい。罪を犯したら不幸になり、罪を悔い改め、罪をなくす努力をし、罪を償って生きてこそ、真に幸福に生きられるのだと悟りなさい。